こんばんは。びこ太郎@bikotaroです。
最近はただポエムを垂れ流す情報だけの存在では居られなくなり、姿形と人格があることがバレているのでなんだか文字を書くことが恥ずかしいですね。
カビが生えた話題かもしれませんが人間の意識について仮説を一つ。
夢って展開がめちゃくちゃじゃないですか。あれって、インプットが対話的に感覚器官で処理した外部の情報ではなく、自分の中にあった整理されてない情報だから時系列を無視した継ぎ接ぎのストーリーだと解釈してます。
まあそこの解釈の正しさは置いといて、そのめちゃくちゃなストーリーの中でもある程度自分はそれに乗っかるというか、夢の中では自分として振る舞う訳です。
何故それが成立するかというと、実は私の意識というものは実は曖昧なもので、無意識の部分で実は意思決定がなされていて、意識はその結果に整合性を持たせるためにただ理由を捻り出しているだけ、という仮説です。
もっと言えば、起きている時だってそうで、決断は無意識化でなされていて、意識はそれを追いかけてまるで自分が決めたかのように認識する幻想に過ぎないのではないか、という考え方です。
だからと言って自分が居ないとまでは言いませんが、これを許容すると自分をコントロールする際に起こすアクションを変わってくるのではないかな思います。
まあ、方法論はどうでもいいですね。そんな見方も面白いかなという話でした。
AIが絵を描いている間は面白いけど、まるで人間のように会話をしたら拒否する人も出て来るでしょう。意識はどこからやってくるのだろう、と、まるで半世紀前のSF作家のようにあれこれ考えを巡らす時代がもうやってきているのかも知れません。
ではまた。